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東京高等裁判所 平成11年(ネ)3834号 判決 2000年5月24日

主文

一  本件控訴に基づき、原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

二  本件附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一控訴及び附帯控訴の趣旨

一  控訴の趣旨

1  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

二  附帯控訴の趣旨

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人らに対し、本判決添付別紙目録の損害額合計欄記載の各金員及びこれらに対する退職日欄記載の各日の翌日から支払済みまで年六分(小計欄記載の各金員については年五分)の割合による各金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、控訴人の従業員であった被控訴人らが、控訴人から不当な転勤命令により退職を強要されたなどと主張して、債務不履行ないし不法行為に基づき、勤務を継続し得た向こう一年間の得べかりし賃金、慰藉料及び会社都合退職金との差額の損害賠償を求めた事案である。

主要な争点は、被控訴人らの退職につき控訴人に債務不履行ないし不法行為に該当する行為があったか否か、被控訴人らの退職が会社都合による退職と同視できるか否か及び損害額であるところ、原審において被控訴人らの主張が一部認容されたので、控訴人が控訴し、これに対し、被控訴人らが敗訴部分の取消しとその部分に係る請求(ただし、当審において、慰藉料及び弁護士費用につき請求の減縮がなされた。)の認容を求めて附帯控訴をしたものである。

一  争いのない事実

1  控訴人は、合成樹脂製簡易食品容器の製造販売等を業とする株式会社であり、広島県福山市に本社及び工場(以下「本社工場」という。)を置くほか、関東工場など五工場を含む全国二一か所の事業所を有している。

茨城県結城郡<以下略>所在の控訴人の関東工場(以下「関東工場」という。)には、平成八年一〇月当時、事業部門のほか、製造(PSP)一課(約七〇名)、製造二課(約七〇名)、PW課、検査課、技術課があったが、製造二課は、同年一一月、分社化により、株式会社八千代エフピコディバイスと株式会社八千代エフピコユニオンライズに分割された。

2  被控訴人らは、原判決添付別表の入社日欄記載の日に控訴人に入社し、いずれも関東工場製造二課に配属されていたが、平成八年一〇月二一日付けで製造一課に配転された。被控訴人らは、それぞれ同表退職日欄記載の日に退職した。

二  争点についての当事者の主張

1  退職強要等による債務不履行ないし不法行為の成否

(被控訴人らの主張)

(一) 労働契約関係においては、使用者は、労働者がその意に反して退職することがないよう職場環境を整備する義務を負い、また、労働者の人格権を侵害する違法・不当な目的・態様での人事権を行わない義務を負う。これらの義務は、継続的契約関係であるとともに生身の人間を一方の当事者とする労働契約に付随する信義則上の義務であり、これに違反する使用者の行為は、債務不履行であると同時に不法行為を構成するというべきである。

(二) 控訴人は、平成八年一〇月二一日、被控訴人らを含む一〇名に対し、転勤の理由について説明らしい説明をすることなく、同年一二月一六日から福山市の本社工場へ転勤するようにとの転勤命令を出し、その直後から、関東工場のa製造部長は、被控訴人らに対し、「転勤に応じられないのであれば年内に辞めろ。自己都合退職届を出せ。」と要求した。控訴人は、同年一一月二九日の説明会において、同様の要求をするとともに、「他の方法は一切検討していない。」、「就業規則上は、転勤命令を出して一四日以内に行かなければ懲戒免職である。」と言明し、同年一二月五日の説明会においても、同様に「どうしても行けなければ自己都合で辞めるしかない。今まですべてそうしてきた。」と強硬な姿勢を崩さなかった。

(三) 控訴人がこのように二回目の説明会においても強硬な姿勢を崩さなかったため、被控訴人b、同c及び同dの三名(以下「被控訴人bら三名」という。)は、その直後に、自己都合を理由とする退職届を提出した。

(四) 被控訴人e、同f及び同g(以下「被控訴人eら三名」という。)は、控訴人の説明や強硬な姿勢に納得できなかったことから、被控訴人ら代理人弁護士鴨田哲郎(以下「鴨田弁護士」という。)を選任し、平成八年一二月二〇日、水戸地方裁判所下妻支部に対し、配転効力停止等の仮処分の申立てをしたところ、平成九年一月一〇日の審尋期日において、控訴人は「転勤命令はまだ出していない。転勤に応じないことを理由として退職を求めたり解雇することはしない。」と答弁し、同裁判所は同年三月三日付けで保全の必要性を欠くことを理由に、仮処分申立てを却下した。

被控訴人eら三名は、平成八年一二月一一日以降、次のようなさまざまな嫌がらせを受けた。すなわち、従来女子パート従業員が行っていた業務を担当させられたが、作業テーブルが女子を基準とした高さであるため、無理な作業姿勢を余儀なくされ腰が痛くなった。残業がなくなり、相当額の減収となった。タイムカードが他の従業員と異なり、社員番号は手書きで、氏名はゴム印に変えられた。従来休憩場所には制限がなかったのに、現場事務所以外は立入禁止となった。他の従業員から「まだいるのか」、「いつまでいるんだ」などと陰口を言われ、被控訴人gは、h課長から、「仕事は見つかったか」と言われた。

控訴人は、平成九年三月二日、製造一課所属の従業員に対し、「製造一課及びPW二課、新設するPS課とを合わせて分社化することになった」として、分社移籍の希望意思の確認を始めた。その際、分社移籍を希望しない場合や希望したが移籍が認められない場合の処遇については何らの説明もなかったが、鴨田弁護士からの質問に対し、生産部門は新会社にすべての業務を委託し、関東工場には専門知識と技術が必要な機械技術部門、品質管理部門のほかは総務(管理)部門が存在するだけであるとの回答がなされ、特別の知識や技術を持たない一般従業員には総務部門の清掃等の雑用しか残らないことが判明し、実際、同年四月二一日に、被控訴人eら三名に示された五月からの業務内容は、清掃、草取り、焼却等の雑用であった。

被控訴人eら三名は、このように、転勤命令による退職強要に応じないで仮処分にまで及んだことに対する報復、嫌がらせを受けた上、右の第二次分社化においても採用されないものと考え、被控訴人gは平成九年四月一五日付けで、被控訴人e及び同fは同年五月一五日付けでやむなく退職する旨の意思表示をした。

(五) 以上のように、控訴人は、関東工場における生産部門の人員削減を企図し、余剰人員となった被控訴人らに対し、分社不採用及び本社新工場での人員の必要を口実に福山への転勤を命じ、これに応じないときは自己都合退職しか途はないとの会社方針を示して、関東工場には居場所はないとの明示、黙示の圧力をかけ、ついに退職届の提出を余儀なくさせたのであり、控訴人の右行為は、前記義務に違反し、被控訴人らに対する債務不履行又は不法行為を構成するものである。

(控訴人の主張)

(一) 控訴人は、被控訴人らに対して、転勤命令を発令していない。控訴人は、関東工場の製造部門の生産性が低下していたことから、分社化する方針を決定し、製造二課は平成八年一一月から株式会社八千代エフピコディバイスと株式会社八千代エフピコユニオンライズに、製造一課は平成九年五月から株式会社八千代エフピコピースリーに分社化して事業部門を移管し、外注することにしたのである。一方、福山地区においては、関東工場とは別種のソリッド部門の生産能力を増強する必要が生じたことから、関東工場の分社化に当たって、新会社の採用に漏れた余剰人員を本社工場に配転せざるを得ない状況となった。そこで、被控訴人らに対し、その状況を説明した上、転勤を要請したのである。a部長らが説明の際、転勤命令に応じられないなら年内に辞めろなどと強要したことはない。

(二) 被控訴人bは平成八年一〇月二八日に転勤に応じられないとして同年一二月末をもって退職する旨の意思表示をし、被控訴人gは同月二九日に、被控訴人f、同c及び同dは同月三一日に、被控訴人e及び同dは同年一一月五日にそれぞれ同年一二月末日をもって退職する旨の意思表示をした。被控訴人らは、いずれも自らの意思で自己都合退職をしたものであり、その退職の意思表示には何らの瑕疵もない。

(三) 被控訴人eら三名に対し控訴会社が嫌がらせをした事実はない。

控訴人は、平成九年一月二〇日、鴨田弁護士を通じて、被控訴人eら三名の希望に応じて勤務先を選択できるという条件で、関東工場の近くの控訴人の関連会社数社を出向先として紹介したが、被控訴人eら三名は一顧だにしなかった。控訴人が被控訴人eら三名に報復や嫌がらせをしたことはなく、右三名が本社工場への転勤に応じなかった以上、控訴人自体としては十分な職務を与えることができないため出向を勧めたが、応じてもらえなかったことから、清掃等の業務を指示するほかなかったのである。

2  会社都合退職と同視することの可否

(被控訴人らの主張)

被控訴人らの退職は、自己都合退職ではなく、控訴人の退職金規程第三条第三号にいう「人員削減その他やむを得ない業務上の事由」による退職に当たり、会社都合退職と同視できるというべきである。

(控訴人の主張)

被控訴人らはいずれも自らの意思で自己都合退職をしたものであり、会社都合退職と同視し得る余地はない。

3  損害についての被控訴人らの主張

(一) 被控訴人らは、前記のような控訴人による違法行為がなければ、それぞれ少なくとも向こう一年間は勤務を継続することができたから、本判決添付別紙目録の得べかりし賃金欄記載の各賃金を得ることができた。

使用者が労働者に対し、解雇事由がないにもかかわらず退職か解雇かの選択を迫った場合や使用者がその言動によって通常の労働者であれば退職を決意せざるを得ない状況に追い込んだ場合には、たとえ雇用関係の形式的終了事由が労働者の一方的意思表示たる退職であったとしても、使用者は前記のとおりの損害賠償責任を免れないとともに、右退職を解雇と同様に評価することができる。

したがって、被控訴人らは、控訴人に対し、右賃金相当額の損害賠償を求めることができる。

(二) 被控訴人らの退職は、前記のとおり、会社都合退職に当たるいうべきであるから、控訴人は、被控訴人らに対し、同目録の退職金欄記載の各会社都合退職金との差額を支払う義務がある。

(三) 被控訴人らの精神的苦痛を慰藉するに足りる金員は、被控訴人eら三名については各一〇〇万円、被控訴人bら三名については各五〇万円を下らない。

(四) 被控訴人らは、鴨田弁護士に対し、同目録の弁護士費用欄記載の各金員を弁護士費用として支払う旨約束している。

第三当裁判所の判断

一  被控訴人らの退職に至る経緯と控訴人による退職強要の有無

1  証拠(甲第一号証の三、第四号証の一、第五号証の一、二、第六号証の一、第七ないし第一一号証、第一三号証、第一五、一六号証、第一九、第二〇号証、第二二号証、第二三号証の一ないし五、第二七号証、第三二、第三三号証、第三九号証の一ないし六、第四〇号証、乙第一ないし第四号証、第八ないし第二六号証、第二八、第二九号証、第三一号証、第四四号証、証人i、同a、同j及び同hの各証言、被控訴人e、同g及び同c各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 控訴人は、昭和三七年七月に設立された合成樹脂製簡易食器容器の製造販売を主たる営業目的とする株式会社であるが、設立以来逐次業態を拡大し、本社を広島県福山市に、東京、大阪に各支店を有するほか、全国一四か所に営業所を、八か所に配送センターをそれぞれ有し、福山市及び岡山県笠岡市の本社工場のほか、関東、東北、中部、九州の各工場を有している。控訴人は、平成元年一一月広島証券取引所に、平成三年二月には大阪証券取引所第二部にそれぞれ株式を上場した。

(二) 控訴人は、いわゆるバブル経済崩壊後の厳しい経済環境の下で、低価格競争を繰り広げていた主要取引先である百貨店やスーパー等からの食品容器の単価引下げ要求に直面し、同業他社との激しい競争に生き残るため、平成四年ころから経営の合理化を図ってきた。控訴人の採った採算性改善策としては、営業面では、営業所の統廃合やコンピュータによるオンライン受発注、物流面では、複数の問屋を統合して製品の共同購入、共同配送により運賃コストの低減を図り、生産面では、工場の稼働率を高水準に維持すべく、外注工場の生産体制を見直し、自社工場での生産に切り替える半面、別会社を設立して一部の生産業務をこれに移管する分社化を進めた。(独立採算性により生産性を向上させる手法としては、各事業部を同一法人内にありながらそれぞれ独自の事業体として運営する方法もあるが、分社化は、別法人とすることによって、税務申告等対外面での煩わしさはあるものの、独立した会社の経営に対する真剣さや危機意識の浸透効果があるため、生産性向上のメリットがあると考えられている。)また、これらと併せて、新製品を開発し市場に新規投入することにより販売量の拡大と単価低下の防止を図る施策を講じることとし、刺身用容器等に使用する透明性の高いソリッドの容器(クリスター)や、従来より耐熱性が高く電子レンジでも使用できる低発泡のトレー(エクスター)を開発し、平成八年九月からは、クリスター、PS製品の成型加工を業務とするPS―四課を、同年一〇月からは、クリスターシートの押出し、クリスター製品の成型加工を業務とするPS―五課をそれぞれ本社工場に新設し、さらに、平成九年六月からは、エクスターシートの押出し、エクスター製品の成型加工を業務とするPS―六課を本社工場に新設することにしていた。

そして、控訴人は、社内報等を通じて、これらの経営改善策を従業員に周知徹底させるとともに、これへの協力を呼びかけていた。

(三) 前記の分社化は、平成八年七月以降、笠岡工場及び関東工場について進められた。被控訴人らの所属していた関東工場の製造部門には、PSP第一課(製造一課)、PSP第二課(製造二課)及びPW課があったが、これらがすべて分社化の対象とされることになり、平成八年七月ころから、会社の方針や分社に伴う配置転換の必要性についての従業員への説明が数回にわたって行われ、分社による新会社への配置転換(控訴人からの退職と新会社への入社)に関する希望調査(応募アンケート)も従業員全員に対して行われた。

右分社化への準備として、同年八月一九日から、従来の四交代による三勤三休制から三交代制への変更が行われ、これによって生じた余剰人員のうち一〇名については、本社工場及び笠岡工場への配置転換(転勤)が行われた。

(四) かくして、平成八年一一月一日、PSP第二課が新会社である株式会社八千代エフピコディバイス及び株式会社八千代エフピコユニオンライズに分社化されることになったが、それに先立ち、同年一〇月二一日付けで、右新会社への採用から洩れた被控訴人らを含む一五名について、PSP第一課への配置転換が発令された。

控訴人は、当時、PSP第一課及びPW課を平成九年三月に分社化することを予定しており、PSP第一課に配置転換された右の一五名を含む同課及びPW課所属の従業員中から右分社化によって新会社に採用される予定の約六〇名を除いた者のうち約一〇名を、既に稼働を開始していた前記本社工場PS―四課及び同五課の要員として福山に転勤させることを計画し、被控訴人らを含む一〇名を選定した。

なお、分社化に当たって新会社に採用する人員の選考は、その作業範囲と予想コストを検討して算出した所要人員数と採用条件等を明示したポスターを社員食堂や現場事務所に掲示して社員を募集し、応募者の中から、新会社の社長がその責任において行った。選考の基準はあらかじめ明示されていなかったが、新会社の業務内容と従業員の適性、能力等を基準として選考が行われた。控訴人eは、新会社への就職に応募しなかった。

選考された者については、若干の出向者を除き、一旦控訴人を退社して新会社に新規採用するという方法が採られた。控訴人を退社する男子社員の退職金については、会社都合による退職の場合の支給率Aによることとされたが、女子の退職者については、控訴人での正社員から新会社ではパート職員と身分が変わり、給与面での低下が予想されたことから、支給率Aによる退職金に割増金が加算された。

(五) そこで、控訴人は、平成八年一〇月二一日、a部長とh課長が、右一〇名に対し一人当たり二〇分程度の個別面接を実施し、関東工場では分社化により余剰人員が生ずるのに対し、本社工場ではソリッド部門のPS工場の増設を進めているため人員が不足することなどを説明し、同年一二月一六日付けで福山市の本社工場へ転勤してほしい旨要請し、一週間後の同年一〇月二八日までに単身赴任か家族同伴で行くかを回答するよう求めた。

そして、a部長とh課長が同年一〇月二八日に被控訴人らと再度の個別面接を実施したところ、被控訴人bは、辞めたくはないが転勤できないので同年一二月末日をもって退社する旨の意思を示した。しかし、その余の被控訴人らはいずれも転勤には応じられない、関東工場で引き続き働きたいとの意向を示した。その際、転勤に応じられない理由として、被控訴人eは、妻の母親を週一回病院に連れて行っていることを挙げ、被控訴人fは、五〇歳に達し福山での生活や仕事が不安であると述べ、被控訴人gは、妻の兄夫婦に跡継ぎがなく、転勤中の兄夫婦の家に住んでため、空き家にするわけにはいかないと述べ、被控訴人cは、妻が病気で子供も幼いことを挙げ、被控訴人dは、とにかく転勤はできないと述べた。そこで、a部長らは、右被控訴人ら五名に対し、各人が挙げる右のような事情は転勤を拒める正当な理由に当たらないと述べ、再度転勤の必要性を説明するとともに、転勤に応じるよう要請し、三日後に返事するよう求めた。

同年一〇月二九日、被控訴人gからの申入れにより、a部長とh課長が同被控訴人との面接を実施したところ、同被控訴人は、転勤できないので同年一二月末日をもって退職する旨述べた。

a部長とh課長が同月三一日に残りの被控訴人ら四名との面接を実施したところ、被控訴人f及び同cはそれぞれ、転勤できないので同年一二月末日をもって退職する旨の意思を示した。被控訴人eは、a部長から、妻の母親が兄夫婦と同居しているなら、兄夫婦に病院に連れて行ってもらえば済むことで、そのような理由では納得できないと言われたことから、「会社都合なら辞めます。」と述べた。また、被控訴人dは、就職活動のため平成九年春ころ退職したいと述べ、これに対し、a部長が、就職活動なら一か月半もあれば足りるのではないかとの意見を述べた。

同年一一月一日、被控訴人eから、平成九年二月一五日で勤続年数がちょうど七年になるので、同日付けなら自己都合で退職するとの申出があったが、a部長は、自分だけでは結論を出せないので、工場長の指示を仰ぐ旨答えた。

被控訴人e及び同dは、平成八年一一月五日、それぞれa部長らに対し、転勤できないので同年一二月末日をもって退職する旨回答した。

その後、被控訴人bら三名は、控訴人に対し、同年一二月一五日をもって退職する旨の退職届を提出した。

(六) この間の同年一一月二五日ころ、控訴人は、前記転勤要員一〇名のうちk及びlを本社工場に出張させて、PS―四課及び同五課の稼働状況等を見学させるとともに、j生産本部長らと面会して、本社工場への転勤を必要とする会社の事情の説明を受ける機会を設けた。そして、これを受ける形で、同月二九日と一二月五日の二回にわたり、関東工場のi工場長らによる説明会を開き、あらためてPS製造部門の重要性とその要員として被控訴人らを転勤させる必要性を縷々説明するとともに、人選の不当性をいう被控訴人らの言い分については、転勤の人選は会社の責任と権限において行うものであって、個別の人選理由を明らかにする必要はないと述べ、また、実質的には整理解雇ではないかとの被控訴人らの主張に対しても、そのような事実はないとの説明を行い、転勤できないことを理由に退職する場合は会社都合の退職であって、自己都合による退職とすることは不当である旨の被控訴人らの主張に対しても、会社の方針としては自己都合退職として扱うことになっている旨の説明をした。しかし、あくまでも本社工場への転勤を不当とする被控訴人らとの対立は解消するに至らなかった。

(七) 被控訴人eら三名は、鴨田弁護士を代理人に選任して、平成八年一二月二〇日、水戸地方裁判所下妻支部に対し、配転効力停止等の仮処分の申立てをした。これに対し、控訴人は、平成九年一月一〇日の審尋期日において、「転勤命令はまだ出していない。転勤に応じないことを理由として退職を求めたり解雇したりすることはない」旨の答弁をするなどしたため、同裁判所は、同年三月三日、保全の必要性を欠くことを理由に、右仮処分申立てを却下した。

(八) 鴨田弁護士は、右仮処分申立てに先立ち、控訴人に対し、被控訴人eら三名に対する転勤命令の件について問い合わせをした。これに対し、控訴人は、右転勤の件は本人らの同意が得られるまで延期する旨を連絡するとともに、平成八年一二月二〇日、被控訴人eら三名とj本部長との話合いの場を設けて、同被控訴人らに対する説得を行った。しかし、双方の主張の対立は解消せず、j本部長は、会社の方針に誤りはないとしつつも、被控訴人らに対する説明不足があったと思われるので説明をやり直すことを約した。

控訴人は、平成九年一月七日、被控訴人eら三名に対し、本社工場の実情を知ってもらうため同月一三、一四日を出張日とする福山への出張命令(指示)書を交付し、鴨田弁護士にもその旨連絡したが、同被控訴人らはこれに応じなかった。また、控訴人は、同月二〇日ころ、鴨田弁護士を通じて、被控訴人eら三名に対し、関東工場の近くに所在する控訴人の関連会社三社を出向先として紹介し、各人の出向先はそれぞれの選択に任せてもよいとの提案を行ったが、同被控訴人らはいずれもこれに応じなかった。なお、同被控訴人らが控訴人の示した受入先について具体的検討を行った形跡はない。

(九) 控訴人は、平成九年三月二日、PSP第一課及びPW課の分社化に伴う新会社への移籍について、従業員全員の意向調査を行った。右調査の結果、関係従業員六八名のうち六一名が新会社への移籍を希望し、移籍を希望せず自己都合による退職を希望する者が四名あったが、被控訴人eら三名は、同月七日の締切日までに何らの回答も行わなかった。

控訴人は、分社移籍を希望しない場合や希望したが移籍が認められない場合の処遇についての鴨田弁護士からの照会に対し、関東工場の生産部門は新会社に全ての業務を移管し、関東工場には専門知識が必要な機械技術課、品質管理課のほかには総務部門の管理課が存在するだけとなり、特別の知識や技術を持たない一般従業員は、管理課の業務である清掃等の雑用しか残らないことになるので、移籍を希望しない場合や希望したが移籍が認められない場合にはこの雑用に従事するほかない旨回答した。実際に被控訴人eら三名に示された同年五月以降の業務内容は、清掃、草取り、焼却等の雑用であった。

(一〇) このような経過を経て、被控訴人gは平成九年四月一五日付けで退職する旨の意思表示をし、被控訴人e及び同fは、同年五月一日付けで関東工場管理課に配転された後、同月一五日付けで退職する旨の意思表示をした。

(一一) なお、控訴人における生産部門の分社化はその後も進められ、平成一〇年九月までにはすべての生産現業部門が一八社に分社された。

2  以上認定の事実関係に照らすと、被控訴人らの本社工場への転勤は、控訴人の経営合理化方策の一環として行われることになった関東工場の生産部門の分社化に伴って生じる余剰人員の雇用を維持しつつ、新製品であるPS製品の開発・製造のために本社工場に新設されたPS―四課及び同五課等の新規生産部門への要員を確保するべく、控訴人の組織全体で行われた人事異動の一環として計画されたものであって、控訴人の置かれた前記のような経営環境に照らして合理的なものであったと認められる。そして、被控訴人らを転勤要員として選定した過程に格別不当な点があったとは認められない。関東工場の近くに生活の本拠を持ち、関東工場の従業員として採用された被控訴人らが遠方の広島県福山市へ転勤することについては、それを容易に受け入れられない各人それぞれの事情があることは、それなりに理解できなくはないけれども、本件全証拠をもってしても、被控訴人らが勤務先を関東工場に限定して採用されたとの事実を認めるに足りないし(被控訴人ら自身、a部長らから転勤要請を受けた際に、かかる事実を転勤に応じられない事情として主張していない。)、就業規則(乙第七号証)上も、「会社は業務上の必要があるときは転勤、長期出張を命ずることがある。この場合、社員は正当な理由なくこれを拒むことができない」旨明記されているのであって、被控訴人らもこれを承知した上で勤務してきたものと認められる。そして、被控訴人らが転勤に応じられない理由として述べた前記のような個別事情も、それ自体転勤を拒否できる正当な理由に当たるとまでいうことができるものではない。

被控訴人らは、控訴人が被控訴人らを含む前記一〇名を転勤対象者として選定した理由や本社工場への転勤期間を明らかにしなかったことを非難するが、転勤を命じる場合の人選は会社がその責任と権限に基づいて決定すべきもので、その理由は人事の秘密に属し、これを対象者に明らかにしなかったからといって、それを違法ないし不当とすることはできないし、証拠(乙第一号証、第二九号証及び証人iの証言)によれば、平成八年一〇月ころないし平成九年当時は、新製品であるソリッド製品の開発・製造が緒についたばかりで、その事業が将来どのように展開するかを容易に予測できない段階にあったものと認められるから、a部長らが被控訴人らの本社工場への転勤期間は未定である旨答えたことは、やむを得なかったというべきである。

しかも、控訴人は、いわゆるバブル経済崩壊後の厳しい経済環境の下で同業他社との激しい競争に生き残るため経営合理化を図らざるを得ない会社の事情と会社がそのために採ろうとしている経営方針等を社内報等を通じて従業員に周知徹底させるとともに、平成八年一〇月二一日以降、被控訴人らを含む一〇名に対し、経営合理化策の一環として関東工場の生産部門を分社化せざるを得ない会社の事情や新設のPS製造部門の重要性とその要員として控訴人らを転勤させる必要性を個別面接や数次にわたる説明会等を通じて説明し、k及びlの両名を本社工場に出張させて、PS―四課等の稼働状況を見学させ、被控訴人eら三名による仮処分申立てを契機としてではあるが、右三名に対する転勤命令の発令を本人らの同意が得られるまで延期する措置をとるとともに、j本部長との話合いの場を設けて説得に努め、さらに、右三名に本社工場の実情を知ってもらうため福山への出張を命じたり、関東工場の近くにある関連会社を出向先として紹介するなど、被控訴人らが円滑に本社工場に転勤できるよう、また、被控訴人eら三名については、関連会社に出向という形で就職できるよう、最大限の努力をしたものと認められる。

3  そうとすれば、控訴人が被控訴人らを本社工場に転勤させようとしたことに、人事権の行使として違法ないし不当な点があったと認めることはできないものというほかはない。

被控訴人らは、a部長らが、被控訴人らにおいて転勤に応じない場合は懲戒解雇であると述べて、転勤を強要した旨主張し、被控訴人e、同g及び同c各本人尋問の結果、甲第一号証の三、第五号証の二、第六号証の一、第三二号証及び第三五号証中には、a部長が、平成八年一〇月三一日の面接の際、被控訴人eや同cに対し、「会社の命令に従えないなら辞めろ。」と述べたり、被控訴人dがこのまま平行線で行ったらどうなるんですかと尋ねたのに対し、事務的に「懲戒解雇する。」と述べたとの供述部分や陳述記載があるが、他方、証人aの証言、乙第一六号証及び第二八号証(いずれもa部長の陳述書)中には、これを否定する供述部分及び陳述記載がある。

ところで、控訴人の就業規則(乙第七号証)には、転勤について「会社は業務上の必要があるときは転勤、長期出張を命ずることがある。この場合、社員は正当の理由なくこれを拒むことはできない。」(第九条)、「転勤を命ぜられた者は、発令の日から起算して一四日以内に赴任しなければならない。」(第一〇条本文)と規定され、社員が「正当な理由がなく、仕事上の指揮命令に従わなかったとき」は懲戒解雇する(第六四条第六号)旨規定されているから、転勤命令が発令されて一四日以内に赴任しないときは、会社の指揮命令に従わなかったとして懲戒解雇される場合があることになる。そして、証拠(甲第一九号証、証人iの証言)によると、平成八年一一月二九日に行われた前記説明会において、i工場長が、被控訴人らに対し、「転勤命令を出して一四日以内に行ってもらえないときは、懲戒解雇になる」と述べていることが認められるのであって、このことに照らすと、a部長が「懲戒解雇する」とか「辞めろ」と述べたとすれば、i工場長の右発言と同様の意味において、すなわち、転勤命令が発令された場合に、一四日以内に赴任しなかったときは、懲戒解雇されることがあるとの就業規則の説明をしたにとどまるものと認めるのが相当である。そうとすれば、a部長が被控訴人らに対し、転勤若しくはこれに応じない場合の辞職を強要したとまでは認め難いというべきであり、被控訴人eらの前記供述部分や陳述記載はにわかに採用することができない。

4  被控訴人らは、被控訴人eら三名が平成八年一二月一一日以降さまざまな嫌がらせを受けたと主張するので、検討する。

まず、従来女子パート従業員が行っていた業務を担当させられ、作業テーブルが女子を基準とした高さであるため、無理な作業姿勢を余儀なくされたという点については、証拠(乙第二九号証)及び弁論の全趣旨によると、右作業テーブルの高さは男子でも作業に著しい支障が出るほどのものではなかったことが認められる上、被控訴人eら三名は主にその後の工程である包装作業をしていたことが認められる。

残業がなくなったという点については、残業は本来、業務上の必要がある場合に行われるべきものであり、従業員の自由意思で行われるものではないから、残業の必要性がなかったものと推認するほかない。

タイムカードが、他の従業員と異なり、社員番号が手書きになり、氏名はゴム印を押捺するものに変えられたという点については、右証拠によると、タイムカードの印刷は二か月分をまとめて発注されていたところ、被控訴人eら三名については転勤の話が進められていた関係で、発注名簿に入っていなかったことが認められる。

休憩場所の点については、右証拠及び弁論の全趣旨によると、現場作業員の休憩場所は、現場事務所、食堂、休憩室とされ、喫煙も許可されていたが、それ以外の場所での休憩は認められていなかったこと、禁煙場所で喫煙する者が見受けられたため、平成九年二月二五日から、出荷・資材受入業務伝票処理室を関係者以外の立入禁止とする処置がとられたことが認められる。

h課長が被控訴人gに「仕事は見つかったか」と言った点については、証拠(証人hの証言)によると、欠勤が少なくない被控訴人gが仕事を探しているのかと思い、つい声をかけたにすぎないことが認められる。

他の従業員から「まだいるのか」、「いつまでいるんだ」などと陰口を言われたという点については、仮にそのような事実があったとしても、控訴人が他の従業員にそのようなことをさせていたことを認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであって、控訴人が被控訴人eらに三名対し、その主張のような嫌がらせをした事実は認められず、甲第一号証の四、第二号証の二及び第三号証の五のうち右認定に反する部分はにわかに採用することができない。

5  なお、被控訴人らは、被控訴人eら三名が、平成九年五月に行われたPSP第一課及びPW課の株式会社エフピコピースリーへの分社化から不当に排除された旨主張するが、前記認定のとおり、控訴人が右分社化に伴う新会社への移籍について関係従業員全員に対して行った意向調査の際、被控訴人eら三名は何らの回答も行わなかったのであるから、その結果を踏まえて行われた新会社への採用から右被控訴人らが洩れたからといって、それを不当視することはできないというべきである。

二  控訴人の損害賠償責任の存否

1  以上のとおり、被控訴人らは、控訴人が前記のような業務上の必要に基づいて行った本社工場への転勤要請を拒否して、各人の意思に基づいて控訴人を退職するに至ったものであって、被控訴人bら三名はもとより、被控訴人eら三名も、自己都合により退職したものと認めるほかはなく、その退職を会社都合によるものと認めることはできないし、退職に至るまでの過程で、被控訴人ら主張のような人事権の違法ないし不当な行使があったと認めることはできず、控訴人による報復や嫌がらせ行為があったとの事実も認めることができない。

2  したがって、被控訴人らの退職について、控訴人に債務不履行ないし不法行為責任があるとの被控訴人らの主張は、その前提となる事実が認められない以上、その余の点について判断するまでもなく、理由のないことが明らかである。

第四結論

以上のとおりであって、控被控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないというべきであるから、被控訴人らの請求を一部認容した原判決は、その限度において不当である。

よって、本件控訴に基づき、原判決中控訴人敗訴の部分を取り消した上、被控訴人らの請求をいずれも棄却し、被控訴人らの附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第六七条第二項、第六一条、第六五条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 魚住庸夫 裁判官 小野田禮宏)

裁判官 貝阿彌誠は転補につき署名押印することができない。 裁判長裁判官 魚住庸夫

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